1209・台風直撃の福岡紀行 vol.10──歩いて歩いて(汗)@太宰府まほろば散策


古代の九州は「西海道」さいかいどう)と呼ばれ、この「西海道」を組織していたのが
「太宰府」だったのだそうだ。
西海道諸国の調庸物(税として治められた物品)はすべて太宰府によって管理され、
中央政府に納める一部の物品以外は「太宰府の財源」として消費されたのだという。


せっかくはるばると太宰府まで訪れたので、周辺を少し散策してみることにした。
「太宰府天満宮」のすぐ近くにある「光明禅寺」は別名「苔寺」と称され、
美しい紅葉が庭園を見事に彩るお寺なのだそうだ。


少し歩いて日本最古の梵鐘がある「観世音寺」へ。
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『源氏物語』にも登場する「観世音寺」は、母・斉明天皇の冥福を祈るために天智天皇によって発願され、
80年後の天平18年(746年)に完成した(聖武天皇)。
古くは九州の寺院の中心的存在で、正倉院風の収蔵庫(宝蔵)には、平安時代から鎌倉時代にかけての
仏像16体(重要文化財)が収蔵されている。
また、京都妙心寺の梵鐘と兄弟鐘といわれる日本最古の「梵鐘」(国宝)
「日本の音風景100選」にも選定されている。
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さらにその先の「戒壇院」へ。
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此方は、観世音寺建立から15年後の天平宝字5年(761年)、
観世音寺の区域内に建立された「三大戒壇」(奈良東大寺、下野薬師寺、観世音寺の三戒壇の総称)
の一つで唐の名僧鑑真和上を招いて創建したとされる。
ちなみに「戒壇」とは中央部に石で築いてある壇のことで、出家する者に対して、僧
侶として守るべき戒律を授けるための儀式が行われる場所のこと。

戒壇院の鐘楼。
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さらにもっと歩いて「太宰府政庁跡」へ(滝汗)。
平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡、
それが「太宰府政庁跡」だ。
7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、
九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。
その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものだったそうだが、
現在は当時の立派な規模をしのばせる礎石が残された公園となっている。
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どこまでも続く広大な野原は、虫の鳴き声と風のそよぐ音しか聞こえない静寂の闇に包まれようとしている。
が、太宰府政庁跡にひとり佇むと、古代人たちの生命の鼓動が感じ取れるような気がしてくるから不思議だ。


その後はまたまた歩いて「都府楼前駅」から西鉄に乗り、天神をめざしたのだった。


お天気が良ければ「レンタル自転車」という手もあったのだけれど、台風一過ということもあり、
雨は降ったりやんだり。。。
今回はつくづく台風に祟られていたような気がする(爆)。
しかしよく歩いたなぁ。。。夜の宴会が超楽しみだ(笑)。。。



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by forestkoro1015 | 2012-10-02 14:37 | 福岡関連 | Trackback | Comments(0)

美味しかったもの、楽しかったこと、旅の思い出などを徒然にご紹介します。


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