認知症徘徊事故 最高裁判決。

昨日(3月1日)の「認知症徘徊事故」に関する責任の所在について「家族の賠償責任なし」とした最高裁の判決を
「よかった!」「安心した!」と本当に嬉しく思った方々は大変多いのではないでしょうか。
かくいう私もその一人です。


4年前に亡くなった父も徘徊癖のある認知症(要介護度4)でした。亡くなる3年ほど前から認知症を発症。
もちろんその前から兆候は出ていたのですが、明らかな症状が出はじめたのはちょうど春先の今頃のことです。
だいぶ前に退官した勤め先の大学が家から徒歩5分の場所にあるのですが、朝、起きると出かける準備をしています。
「どこ行くの?」と聞くと「授業に出かける!」と、いくら止めても「遅刻する!」と言い張って譲りません。
後から担当していただいたケア・マネージャーの方の話によると「スイッチが入ってしまった!」ということらしいです。
元の勤務先が家から近いというのは、これまた厄介で、朝の授業は「休講になった!」となだめても、午後になると
また「午後はゼミの授業がある!」「教授会に出なければならない!」などと大騒ぎです。
たまたま学校の担当事務室の方がとても良い方で此方の事情をお話し、なんとか話を合わせていただいて、
迎えに行くと向こうで座ってお茶をいただいているというような状態の日々でした。


足腰が丈夫な認知症の人の介護というのは、体験したことのない人にとってはたぶんわからないと思いますが、
とても厄介なものです。自我が強くなり、力も強くて家族のいうことなどは聞こうとしません。
物忘れ外来に連れていき、薬を飲ませたところで、一日、また一日と壊れていく父を見るのは辛いものがありました。
デイサービスをお願いしたところで、行ったと思うと、夕方にはすぐに帰ってくるので、気が休まる暇はありません。

介護施設を探したところで、有料の施設の場合は「徘徊癖がある認知症」があると受け入れを断られ(手がかかるから
当然なのですが)、特養の施設の場合は、一人暮らしのお年寄りや家を持たない人に優先順位があるため、
家族がいて持ち家がある父の場合は普通に申し込むと、入居待ちの順番が304番目とか287番目とか(いくつ掛け持ちで
申し込んだとしても)の気が遠くなるような順番待ちとなり、およそ生きている間に順番が回ってくるとは到底思えません。
また、女性の場合は比較的に入居しやすいのですが(長生きの女性が多いため)、男性の場合は基本的に部屋数が少なく、
さらに競争率は高くなります。


つまり、認知症の家族を抱える人たちは、今の日本においては、自分たちで介護をすることが当たり前になっているのが
現状なのです。
しかも「徘徊癖がある認知症」の場合は、24時間体制で監視していないとならないので、それも厄介です。
父のように学校と家の往復ならまだ良いのですが、時として「講演に出かける!」と朝からいなくなってしまったことが
数回あります。
一度目は夏の暑い日。。。朝、起きたらいないので学校にいったのだと思って連絡したら「今日はまだいらっしゃってません!」とのこと。
近くの公園、駅、病院、よくいくお店など、心当たりの場所はすべて探したのですが、どこにもいません。
暑い日だったし、どこかで行き倒れになっていたらどうしようと、真っ青になって警察に捜索願を出そうかとしていたところ、
東京駅の飲食店から「ご主人が具合が悪そうだから連絡しました!」と電話をもらったのです。
たまたまお財布に名刺が入っていたのが良かったようです。すぐに迎えに行きましたが、本人はビールを2本も飲んで
満足そうでした。


もちろん玄関には人影を察知するとキンコンカンコン鳴るブザーを取り付けていましたが、家族でも気づけない時があります。
ケア・マネージャーさんと相談して、GPS(自治体から補助が出るところもあります)をバッグに取り付けるようにしましたが、
あのGPSは本当に助かりました。バッグを持たないで出かけてしまうと追跡は困難なのですが、大体はお気に入りのバッグと共に
出かけていたので、「今、駅の向こう側を南に向かって歩いている!」などと追跡することができます。
携帯電話もあったのですが、面倒くさいと持たないで出かけてしまうので、役に立ちません。


「徘徊」の症状というのは、仕事ひとすじの真面目であまり趣味のなかった人に多くでやすい症状(男性の場合)
なのだそうです。
元の勤務先に出かけるというのはよくある症状のようで、父の場合は近かったからまだ良いのですが、昔、新幹線通勤で
横浜に通っていたある患者さんは、新横浜で下りることができずに関西の方までそのまま行ってしまい、
ご家族の方が遠くまで迎えにいったというような話も聞いたことがあります。

最終的には知り合いの方にお願いして、ある施設で月に何日か預かっていただく(ショートステイ)ことができるように
なりましたが、あのショートステイの利用がなかったら、おそらくあの3年間に及ぶ介護の日々を乗り越えることは
できなかったでしょう。ご主人が寝たきりの奥さんに手をかけたなどという介護関連の事件が報道されるたびに、
「その気持ち、わかるよなぁ!」とため息をついていたのも事実です。


今回の判決に至る一審・二審の判決を耳にするたび、「認知症の介護を経験したことがない人の冷たい判断だなー!」と
思っていましたが最高裁でようやく「介護に携わる人たち」の心情に寄り添った判断が下された・・・
と少し心が暖かくなりました。


もちろん責任の所在はどこにあるのか、被った損害の賠償は誰が負うのか、企業でなくて個人が損害を被った場合、
泣き寝入りしかないのか等々、解決していかなければならない問題は山積みですが、介護の現場に一石を投じたという意味に
おいては、大きな意義のある裁判だったと思います。


2025年には、高齢者の5人に一人は認知症になると言われている今、国をあげてその対策を講じなければならない時期を
迎えているのではないでしょうか。介護する家族にすべての責任を押しつけるのではなく、認知症の人たちを受け入れる
施設の数を増やしたり、現場で介護に携わるスタッフの方々の待遇改善を図って少しでも働きやすい職場にする。
そして何か問題が生じた時の国としての損害賠償の救済策を確立するなど、課題は山積みだと思います。


個人的にはオリンピックに何百億もかけるのであれば、国民一人ひとりがもっと豊かで暮らしやすい世の中を
整備することの方が先ではないかと考える次第です。なんか最近の世の中、どこかおかしい。。。
が、今回の判決はほんと、そんな変な世知辛い世の中において「一筋の光」が射しているように感じました。



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by forestkoro1015 | 2016-03-02 13:04 | 介護関連 | Trackback | Comments(0)

美味しかったもの、楽しかったこと、旅の思い出などを徒然にご紹介します。


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